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2008年 12月 04日

敷居の高いところ

他ジャンルから見てJazzの敷居が高いと感じるところ。

例えばコピーやカヴァー主体のロック系なアマチュアバンドならオリジナルの再現をひとつの目標というか正解として捉えて進むことができるからわかりやすい。「間違った!」と思ったらそれは恐らくほぼ全員が「間違い」だと認識できる。

Jazzのカテゴリでもフルバンドには譜面もあるが、コンボではオリジナルの再現や譜面の再現を目指しても正直何の面白味も無いし、Jazzの精神として単なるコピーや譜面にベッタリというのはそれはもはやJazzと呼ぶべきではない。

結果的であれ何であれプレイヤーが出した音が全てであって、明らかな「技術的ミス」や「勘違い」を除けば「カッコ悪い」とか「理論的にはあまり好ましくないね」とか「好みじゃない」というのはあっても、それは「間違い」とは言わない。あくまでも個人個人の「正解」を近づける作業でしかないので、「オリジナルと同じように出来た!」というような達成感とか満足感も得られない。

これこそがジャズの敷居を高くしている要因でもあるし、多くのジャズ入門者が本当の意味でジャズを理解出来ないまま行き詰まってしまう理由だと思う。

演奏に対して全員が共通して「それ間違い」とか「バッチリ合った」などと認識できないから「いまのとこはもっと○○な感じで」とか「そこでその音は使わないで」などといったやや抽象的な言葉が飛び交うことになる。ここで皆が納得して歩み寄れれば話は早いが(その為にリーダーが存在する)一人でもベクトルの違う人が「いやいや、ここはこうするべきでしょ」とか「皆、好きにやればいいじゃん」などと言って意見が対立するような場面があると一転して殺伐・険悪なムードになることは必至。

なので、コンボJazzに関して理想を言えば出てくる音の趣味や好みが自分がやりたい方向性と合わない(少なくとも許容範囲に収まらない)相手とはバンドとして一緒に演奏するべきではないし、サウンドによって演奏スタイルを無理に変えさせるのでなく演奏者そのものを変えるべきであると思う(敢えて異色の組み合わせを狙ったりする場合はまた別)。特にドラムは個人のスタイルがサウンドに与える影響がかなり強い楽器なので、「誰がやっても同じ」でないところが面白いところでもあるのだが。

要は何が言いたいかというとJazzの敷居を上げているのは「様式」じゃなくて「気構え」というか「精神性」にあるということ。他ジャンルからすると発想の転換が難しいし、この観点から見れば似て非なるJazzがあちこちに溢れている。
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by batterista | 2008-12-04 00:49 | Jazz Drumming


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